2日目(のリポート)
「ドーブラヤ・ウートラ!」
今は3日目の朝9時。すっかりsxq!のベースになっている下のカフェ。朝だというのにほろ酔いのロシア人のおっさんとムスリムの青年がウォッカをグビグビやっています。おっさんは歌を歌ってくれました。(そーいえばムスリムなのに酒のんでいいのか?)その後、彼らはここの従業員らしいことが判明。夜勤が終わって一杯やってたんだね。
ところが内の"ゴールデン・エンジェル”木村マサヤは寝起きでビールのんでるし。
カフェの名前は特になくただ「カフェ24」。街をあるくと沢山のカフェがあります。それからスシバーの多いこと!東京のスタバなみにあります。2年程前から増えているそうです。くわえタバコのオバサンも多い。
2日目はのんびりと。「カフェ24」で朝食をとった後はユースホステルの周辺を散歩をしたり、ユースの同居人と交流。
黒いベストに細いネクタイ、お揃いの衣装に身をまとった3人組の青年はドイツから来ていた大工さん。ドイツでは大工になるのに3年間の下積みをした後、衣装を身にまとい放浪しながら仕事をさがすというシステムになっているそうです。(ヘェ〜)彼らははじめからグループであったわけでなく、旅の途中で一緒になった仲間なのだそうです。
リーダーまつけんが尺八を指南。
この後、シベリア鉄道沿いに旅を続け、モンゴル、中国をへて12月には日本にも来てくれるそうです。街で黒いベスト、独特の杖をつき、七つ道具を担いだドイツ人をみかけたら仕事を!家も立てるし、色々作れるそうですよ。
ジャーマン・カーペンターの7つ道具。
サンクト・ペテルブルクはソビエト連邦時代「スターリングラード」と呼ばれていました。初日に空港から市内へ車で送ってくれたスタッフのウラジミール(薬剤師の勉強をしているそうです)によると空港周辺は"スターリン・スタイル"で建物、町並みがデカくて直線的で角張っています。ソビエト崩壊後、特に変わったことは何かと聞くと、照明がやたらと増えたそうです。自由主義とともに宣伝もどっと流入してきたのでしょうか。街を走る車はやはりドイツ車、日本車、韓国車が多く、共産党の作った車は皆古く、デザインも独特です。
ユースホステル周辺は昔の町並みが残っていて、古都の雰囲気があります。
我々が今いるユースホステルはここだ!
google map
さすがにすべてがデカくて広い。見よこのドアの大きさを。
ユースに新しく入ってきたブラジル人弁護士はフィンランドから来たそうですが、サンクトは首都モスクワより北欧の地域に近いのですね。
2日目の夕方から開催される前夜祭に向かいつつ、スタッフのカーチャ(エカテリーナ)が市内をぐるっと案内してくれました。カーチャは医学の研究員として働いていて、彼女のとても素敵な笑顔に一同ぞっこんです。
街には運河が流れ、色々な銅像が立っています。
女王エカテリーナの像
この日のサンクト・ペテルブルクは雨が降ったりやんだり。風がふくとかなり寒いです。だいたい東京の12月くらい。
サンクトでのイベントの前夜祭会場。バブル景気を感じさせるおしゃれな建物です。来ているお客さん、スタッフも街でよく見かける感じの「共産圏」的な装いでなく、あか抜けてました。
出演したバンドはギターリスト5人、ベースにドラム。リーダーはNYCから来ているアメリカ人で70年代に作曲した曲を披露。全員同じ音でカッティングが静かにはじまり、音量が徐々に上がっていきます。コードの展開もメロディーもなし。ひたすらシングルノートを合奏。
フレームドラムやダラブッカといった中近東のドラムアンサンブルもそうですが、単音とはいえ、5台のアンプから少しずつ違う音色が独特の倍音のうねりを生んで興味深かったです。
時差ぼけと、散策でくたくたの一行。晩飯にありつこうと街をまた歩きますが、めぼしいものは見つからず。結局例の名もないカフェへ。
すると初日に我々を迎えてくれた店員のお姉さん(エルヴィナという名のムスリム)が「また来たわね!」と再び笑顔で迎えてくれました。今回は壷にはいったロシア風肉じゃがをメンバーが注文。かなり旨かったです。結局、このカフェがサンクト一番なのではないかということで全員一致。満腹でそのまま就寝。
3日目はいよいよSXQの登場です。このロシア初公演にも衝撃的ハプニングが発生!
例によって続く。
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