sxq! russia~lithuania tour #16
SXQ!・ロシア〜リトアニア・ツアーも帰国の時を迎えました。ロシア編が終わってからはなんとなく惰性で動いてたような気もします。早朝、昨晩の酔いも完全に抜けていない状態でバタバタと空港へむかいました。

ヴィリニュスからモスクワへ。モスクワで12時間のトランジットがまっています。最後の1時間がこれまた長いんだよねー。


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はい。現在モスクワの空港で地獄の12時間監禁状態中。せっかくなのでリーダー松本に今回のツアーについてインタビューしてみましょう。よろしくおねがいします。

まず今回の旅のMVPは?
松「それぞれの役割が明確だったですね。戦隊モノのかんじで。だから誰が一番貢献したかというのは言えません。」
そうですね。まったく同感です。
ではベスト・パフォーマンスだったと思う場所は?
松「たぶんね、ニジニノヴゴロドのレコードですかね。とにかくSXQ!はスケジュールをつめてライブをしたことがなかったんだけど、いい感じにバンドサウンドになってきた、ちょうど食べごろな演奏だったと。それにあの日はたっぷり演奏できたし。」
次。もう一度行ってみたい場所、もとい、今からでも帰りたい場所は?
松「あー、全部だね。もう一回全部回りたいね。まーこう言っちゃうと投げやりな感じだから、あえていえば、サンクトのカフェ。」
イエス。激しく同感。やっぱあのネーチャンの笑顔と壷焼きっすかね。
松「そう壷ね。」
(注;名前が思い出せないロシアの肉じゃが。壷に入っていてジャガイモと牛筋ににんにくたっぷりのシシューのような食い物)
じゃー、一番の美人は?こりゃーもーリューダにしときますか?
松「(笑い)じゃー次いってみよう。」
そうっすねー。一番しんどかったのは?
松「あの日だね。」
というと
松「あの、おなか壊した日。これはロシアのニジニ〜ヤロスラブリの移動中だったかな。ただね、ロシア国内では苦労があんまり苦労に感じられなかったっていうか。こっちもテンションあがってて。それでリトアニアにぬけて、いわゆる先進国っていうか、、」
西側に入って気がぬけた?
松「うん。自分でも驚いたんだけど、ささいなことで精神的にヤバくなって。」
それは日記にも書きました。しんどかったですね。
松「でも今ロシアにもどってきてまたあのテンションも戻ってきた。」
ハハH。
松「演奏はそれを反映してるかもね。くらべて聴いてみないとわかんないけど。やってるときはまったく気がつかない。」
そうっすね。
松「あー、それでね、関係ないけど、思い出したことがあって、いく先々でテレビや雑誌なんかのインタービューをうけたんだけど、インタビューアーがすごく洗練されているような気がした。けっこう自分でも考えてなかったようなことを聞いてきてくれて、逆に自分の頭の中が耕された。まーロシア語から英語を経由して日本語でしゃべったので大変だったけど。」
それ、わかります。インタビューされると言葉にしますからね。漠然とこんなもんだろって思ってたことが言葉になったときに、あれこんなことだったっけと思ったり、そうかそういうことだったのかと新しい発見があったり。で、どんな発見がありましたか?
松「あー例えばねぇ、すごい基本的なこと。なぜ5人なのかとか、なぜサックス・アンサンブルっていうかたちをとっているのか。なぜ実験的なのか。その辺からインタビューが入っていくんだけど、こっちが返す回答に、もい一度つっこみが入って、言葉の所為かもしれないんだけど、自分の無意識世界をふっとのぞいたような、ヘンなかんじ。」
松「あとね、なんで日本でやってんのかとかね。日本じゃこんなにお客が入んないとかいうと、じゃーなんでこっちで活動しないんだってつっこまれる。」
でも東京がいいんでしょ?
松「そうそう。もちろん。」
なんでですかね。
松「生まれた所に責任とるっていうわけじゃないけど、、。」
やっぱそうっすよね。
松「2つ考え方があって、自分にもっとも適した場所を探し出して住む。これもいいと思うんだけどね。」
じゃー今回の旅でそういう”自分に適した場所”ってありましたか?
松「うーん。今回のなかではないかもね。」
あったら日本に帰ってないか。
松「(本当にそこに住んでしまうのは)実際には無理だけど。ロシアで生活すんのはそうとうタフじゃないと。」
やっぱり東京でヤワになってますかね。われわれ。
松「ある面ではそうだと思う。でも東京は東京の厳しさがあるから。天国で暮らしてるわけじゃないし。」
そうですね。まー東京で頑張っていきましょう。
松「そうですね。」
ありがとうございました。
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とかなんとかダラダラ過ごし、途中”ゴールデンエンジェル”木村マサヤが次の旅(!)に向け出発。

彼はここからスコットランドに渡り、別のバンドのツアーです。タフだなー。個人的には今回のMVPは彼なんじゃないかと思ってます。とにかく朝から酒のんでずっとテンション高かったし、年が近いってこともあってか、リーダー松本と野球のピッチャーとキャッチャーのような関係をふと感じたりもしました。インタビューでも松本氏が語っていたように5人それぞれのキャラクターがいかんなく発揮されたツアーだったように思いますが、いつもゴールデンエンジェルにキメてもらってた日々でしたね。旅の無事を祈ります。
12時間まって9時間のフライトで成田到着。おつかれさま−!




日本は暑いっす。しっかし天気良かったですねー。こうして東京の写真をみると東京ってすごく特殊な場所なんじゃないかと思えてきます。アレクサンドルフの少女たちが来たらなんて思うんだろう。

とういうことで我々はまた東京で鼻息荒く頑張っていきますのでどうぞよろしく!
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sxq! russia~lithuania tour #15
さーて、最終日っす。今日は完全オフ。午前中は記事をアップして午後からヴィリニュスのアテンドをしてくれたドナタと市内を観光。

小高い丘があってお城が立っています。紅葉がきれいで、小川が流れ、石畳の坂道を上がります。


我々がいるのは旧市街ということで映画やCMに出てきそうな小道が迷路のように曲がりくねっています。


どこもかしこも清潔で新しく、これは日本人向けの街ですね。英語もたいていは通じるし本当にノーストレスです。ロシアでの異国指数がかえって懐かしく感じられます。
夕方アンタナスとホテルでおちあい、そのまま飲み会になりました。

彼もフェスティバルが終わってようやく肩の荷がおりた雰囲気。ビールをのみつつフェスティバルの歴史などについて語ってくれました。今回のフェスティバルは21回目。ドナタも21年もつづけるアンタナスのバイタリティーに尊敬とあこがれを感じているようです。最初にフェスティバルを開催したときはまだソ連邦に併合されていたころ。ちょうどペレストロイカがはじまった年だったようです。もともとはコンピュータのハード・ウエア・エンジニアだった彼は、東ヨーロッパのジャズフェスを何回か見にいき、いつか自国でフェスティバルを開催したいと思うようになったのだそうです。当時は敵国の音楽ですから、貴重なジャズのレコードを窓を閉め切って大切に聴いていたと言ってました。そんな風に一音一音を噛み締めるように聴く音楽って、あまりにもコンビニな東京だと逆に難しくなってしまいますね。
このアンタナスの苦労話も含め、今回のツアーは恵まれた環境は本当に恵まれているのか、という事を考えさせられる旅になりました。
ストレスがあったって突き抜けるバイタリティーがあればいいんですよね。むしろストレスがあるからこそ、夢を持ち続けることができたり、仲間を思いやったりする気持ちが芽生えたり。そういえばロシアでは片時も離れることがなかったSXQ!の面々ですが、リトアニアでは自由行動が多かったなー。

飲み会は当然のウォッカがでてきてグデングデンに酔っぱらいました。翌朝は4時起床。モスクワ経由(トランジットが12時間!ゲげー。)で日本へ帰ります。
sxq! russia~lithuania tour #14

ヨナバの朝。なんにもない埼玉の田舎のような所に新しく工場やプラントが建設されています。国民の90%はカトリックだということでキリスト様もいらっしゃいました。


朝食後、来た道をヴィリニスへ戻ります。


今日もライブがあるはずなのですが、ちょうどリトアニア国会の選挙が昨日投票日を迎え、本日開票。その影響で今日のライブはキャンセルになりそうだとアンタナスが言ってました。いかに国民が政治に関心があるとはいえ、ライブがキャンセルになるってどーゆーこと?謎のままホテルでアンタナスの説明を聞くことにしました。
予想通り、本日の演奏はなし。ツアーの総仕上げが消えてしまって本当にがっかりです。でも選挙って?と、聞いてみると、今日のイベントはアンタナスのはからいで行政や政治家などを多数招待していて今後の足がかりにしようというパーティーだったようです。彼らにとってはそれどころの日ではないですね。アンタナスは日本のジャズ・シーンをすごく大切にしてくれていて、再来年のジャズフェスはずばり日本のジャズを全面的にとりあげたいと熱く語っていました。それに対する伏線として今日のパーティーをブッキングしてくれていたようです。大きなイベンターともなればそっち系の人たちとのつながりも大事なんですね。
もう一つ彼にとって重大事件は今回のジャズフェスのメインアクトの一人であるチャールス・ゲイル(Charles Gayle)がなんと飛行機に乗り遅れ昨日のライブが流れたこと。1日遅れの今日、メインのステージでライブが行われるということで皆で聴きに出かけました。チャールス・ゲイルは長くストリート・ミュージシャンとして不遇の時代を送り、近年ようやく日の目をみたフリー・アバンギャルド系のジャズ・マスターです。バリトン吉田は大ファンだということで楽しみ。
会場では突然のスケジュール変更にもかかわらず大勢のお客さんがきていました。アナウンスされてでてきたチャールス・ゲイル。ストリート時代を彷彿とさせるくたびれた綿のジャケット。細身の体。フラフラした足取り。

ここでその音楽をお聴かせできないのが非常に残念ですが、彼のトリオの演奏はものすごく良かったです。久々に感動しました。歌があってエロス(彼自身の体からしか発せられないオーラのようなもの by木村)に充ちていてスィングしていて。アルト・サックスの後はピアノにむかって演奏。ここのピアノが良かった所為もあるけれど、メチャメチャ良い音でした。そうそう。ピアノに向かう前に昨日のお詫びを英語でスピーチ。
アンコールには「アバンギャルドを期待していたかもしれないけど」と前置きしてコルトレーンのナイーマをピアノで演奏してくれました。これがカッチョいいのなんのって。どフリーの後だっただけに美しいハーモニーが胸に響きました。
演奏が終わってからアンタナスの計らいで彼らと立ち話。スーパーナイスガイでした。うーん惚れるぜ。

ホテルで夕食をとったあと、アンタナスに急遽ジャム・セッションへ行こうと誘われました。地元ミュージシャンと文化交流ってことで、なんだか照れくさかったですが、行ってみることにしました。
行ってみたらば驚いた。キャパ200人くらいのハコに若い男女がすし詰め状態。マジっすか。セッションは現地の学生風のプレイヤーたちがコテコテのスタンダードをちょっと緊張しながら演奏してます。それをカップルとか友達同士の若い連中がビール片手に聴いてます。こんなのあり?しかもステージ前には体育座りで演奏を睨みつけてるやつらもいて、すごいテンション。

翌日判明したのですが、ホストのテナーマンはフリーもいけるプロのミュージシャン。Softlyなんかの後に突然フリーになったのを見逃さず、リーダー松本がソプラノで乱入。つづいて我々も乱入。ぶちこわしてしまったかなぁーなどと思いつつ、そそくさと退散。
いやしかし毎週月曜日、よくこんなに人が集まるよ。ジャズで。他の曜日は普通に(いやーもーフツーってなんでしょうねぇ。ロシア以降フツウがよくわからんです)テクノとかのイベントもやってるようでした。
若いお客が沢山きて盛り上がってるリトアニアのジャズ事情。日本の若者よ、カラオケなんて行ってないでライブに来るべし。お願いプリーズ・シュガー・オン・トップ。
sxq! russia~lithuania tour #13
リトアニア2日目。ホテルには朝食のバイキングがありました。なんてことありませんけれど、こういう普通のことが普通じゃない世界にいたんだなとしみじみ思います。昼の12時、ゆっくり目で集合。郊外の街、ヨナバへバス移動。

1時間半程のドライブでした。高速道路も車が少なく国全体の人口密度を感じます。まぁ日本、特に東京が異常なのですけれど。車窓からはただただビロ〜んとひろがる平地で、遠くに山などありません。地形的にはロシアのそれと同じなのですが、通りすぎる村の家から、ほったて小屋にいたるまで建物のセンスがとても良く、北欧の家具とか、近頃流行りのカフェとか、そんな風情です。途中の通過した大きな街は実物大のジオラマのようでした。そうそう、子供の頃によくながめていた田宮模型のプラモデル・カタログに載ってたジオラマですよ。あのまんま。ということはこういった美しい風景でも当時は戦車がバンバン打ち合っていたのかもしれません。

残念ながらそういうウツクシィ〜のはとれませんでした。帰り道に期待。
リトアニアという国はソビエト崩壊直後にはやばやと独立しました。ソビエト併合時代以前もポーランド、ドイツなどに併合されていた時代が長く、せっかく独立しても20年ともたなかったようです。しかし「歌の革命」とよばれた今回の独立運動からはメディアをつかった情報戦というあたらしい戦い方を駆使し国を守っているようです。軍隊をもって武装しないと落ち着けない国ってどうすかね?
さてさて、まず一行は今日の宿泊先へチェック・イン。これまた新品です。街からは車で10分くらいですが、この周辺は新しい工場などが次々と立てられていてヨナバの誇りなんだそうです。室内もまたセンスがいいっすねー。


会場はヨナバ公営のアート・センター。今回は"Homo Ludens"という街のアートフェスティバルに出演。建物自体は東側の時に立てられたようで70年代のにおいがプンプンします。

1階の会場では写真のギャラリーがあったり、若者が仮装したり。

here you are!
アテンドのアグネさんによるとおそらくこの街に来た初めての日本人じゃないか、なんて言ってました。そういえば昨日お会いした日本大使館の職員にきいたところによるとこの国にはたったの40人しか日本人がいないのだそうです。それでも日本の国のものは沢山知っていて、北野、宮崎など最近の映画からピカチュウまで。

アグネさんは絵画をやってる25才。現在はフィルム・アートにはまってるのだそうです。今回のフェスティバルのパンフレットのアートワークも担当。

リハーサルののちまもなく開場

ハチマキは本当はハチマキになってないんだけど、作ってくれました。こってます。
日本に対する関心の高さを示すように会場は立ち見がでるほど満員になりました。

120人くらいでしょうか。会場の響きもよく、リラックスして演奏。ちょっとリラックスしすぎた分、反省もありましたが、それなりにウケていたようで良かったです。
夕方5時からの演奏だったので夜は宿泊先で宴会。今日はバリトン吉田が絶好調。得意のカルト話でひたすら盛り上がります。

酒の席でのヨタですが、どうやらSXQ!とはリーダー松本が読みまくったマンガがルーツにあるようです。ハレンチ学園とマカロニほうれん荘に赤塚不二夫。ギャグとエロスとナンセンス。納得。なっとくしていいのか?「いや、いいんだよ」byリーダー。
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sxq! russia~lithuania tour #12
モスクワ国際空港を朝9時に立ったSXQ!。5都市を回ったロシア編を終えリトアニアへ向かいます。リトアニアへはプロペラ機。

2時間弱のフライトで首都ヴィリニュスへ。入国カウンターはガラガラでスムースにパスすることができました。
ヴィリニュス・ジャズ・フェスティバルの主催者であるアンタナス氏が空港まで出迎えにきてくれていました。

右側の人がアンナナスさん。今回のツアーのセッティングをしていただいた副島氏の友人でもあり、2006年に来日した折りにはSXQ!の演奏も聴きにきてくれています。
ハイヤーのバスでホテルへ。空港から市街への道路は最近できたばかりのうように新しく、ソビエト製の車も、特徴的なスタイルの教会もありません。まったく見慣れた”西側”の世界で一同「帰ってきた」安心感とともに、気がつけば疲れがどっとでていました。
リトアニアではヴィリニュス・ジャズフェスティバルへの協賛をしているホテルに宿泊。ロシアではありえなかったチョー豪華な待遇で一人一部屋。しかもツイン。もちろんネットもやり放題でたまった日記をアップできました。

ここで一晩すごして本番だったらよかったのですが、昨夜12時にヤロスラブリを立って移動し、そのまま今日のイベントに出演です。皆ボロボロの体をひきずって会場入り。


会場は3階の客席まである古いスタイルのコンサートホール。

サウンド・チェックの後、近所のカフェで休憩。(ここでとった写真がnewsのページの画像です)ロシアでは”カプチーノ”といってもうすーいカフェラテのようなものでしたが、ひさしぶりにカプチーノらしいカプチーノをいただきました。しかも顔つきですよ。ロシアじゃありえん。

ヴィリニュスの街は本当に清潔で封を切ったばかりのような新しさがあります。2009年からEUの「文化の首都」となることが決まり、そういった政治的影響もあるかもしれません。



ヴィリニュス・ジャズ・フェスティバルでは我々の前の出演が地元のピアノ・トリオでメインのデビット・マレイのバンドもストレイトアヘッドなジャズだったこと、加えてロシアでの緊張感がフっと切れてしまったことが重なって、リーダー松本の顔の皺も倍増。メンバーの疲労も限界。旅をともにしたヨーロッパ・ノイズ連合の仲間ももういません。ちょっとしたミスもでて楽屋には少しピリピリした重たい空気が流れ始めていました。
しかし、そこはロシア・ツアーを経たSXQ!のチームワーク。イライラしたってしょうがない。ロシアで我々の演奏を一生懸命聴いてくれたヨーギルたちの笑顔を今一度思い出し、最後の力を振り絞るのでした。(@号泣しろよ)
今日も尺八の独奏から「高周波」〜「音まわし」でスタート。ステージに松本、吉田が2階席に木村、藤原がカミシモにわかれ会場全体を包囲します。バナは3階で放し飼い。「高周波」はフラジオ音域の高い音をわざとぶつけあって差音を聴かせるという趣向。「音まわし」は反時計まわりに音をリレーしていきます。こういったスタイルでは会場の鳴りも重要ですが、さすがにコンサートホールだけあって響きがすばらしく吹いていても気分が良かったです。そのあと全員ステージに戻り「1月」「Time to kill」など持ち曲を演奏。
歴史あるコンサートホールで我流をつらぬいたSXQ!。しかもそうとうアバンギャルドなプレイだったにもかかわらず、この国ではめずらしいというアンコールのリクエストまででる程の大喝采を受け、終演後はメンバー一同ニヤニヤしながらおいしいビールをいただきました。
演奏後、楽屋にはサインをもらいに来てくれた若いお客さんや、ロシアやヴィエニュスでニアミスしていたイスラエルのバンドメンバー(バークリー音楽院時代の仲間の知人(ユバル・コーエン)だったので懐かしかったです)などが挨拶に来てくれました。
ライブ後、さすがに全員グロッキーで打ち上げもせず、(写真も撮ってないし。)そのまま就寝。明日はヴィリニュス郊外の街のアートセンターでライブです。
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